====== バブルとは ======
まずはこのサイトのメインテーマでもあります、
バブル、バブル景気、バブル時代、といった、
**バブルとはなんなのか**
周りから解説していきます。
----
「バブル」とは、特定の時期に日本経済が異常に高い成長を遂げた現象を指します。具体的には1980年代後半から1990年代初頭にかけてのバブル経済期です。この時期には、土地や株式の価格が急騰し、経済全体が過熱状態となりました。以下に、その詳細と影響を説明します。
===== バブル経済の特徴 =====
**急激な地価・株価の上昇**
1980年代後半、日本の地価と株価は急激に上昇しました。特に東京の不動産価格は非常に高騰し、土地の価格が非現実的な水準に達しました。
**過剰な投資と融資**
銀行は企業や個人に対して大量の融資を行い、それがさらなる投資を生み出しました。この過剰な融資は、不動産や株式市場に大量の資金を流入させ、価格をさらに押し上げました 。
バブル期には、個人消費も過熱し、高級品や贅沢なサービスが大量に消費されました。企業も積極的に海外投資を行い、高級品を輸入するなど、全体的に消費が加速しました 。
**バブルの崩壊**
1991年頃、バブルは崩壊しました。地価と株価は急激に下落し、多くの企業や個人が膨大な負債を抱えることとなりました。これにより、日本経済は長期にわたる停滞期、いわゆる「失われた30年」に突入しました。
**不良債権の問題**
銀行は多額の不良債権を抱えることとなり、金融機関の経営が悪化しました。これが金融危機を引き起こし、経済全体に深刻な影響を与えました 。
**企業の経営難**
多くの企業がバブル期の過剰投資のツケを払う形で経営難に陥り、倒産やリストラが相次ぎました。これにより、失業率が上昇し、消費も冷え込みました 。
**デフレの長期化**
バブル崩壊後、日本はデフレ(物価の持続的な下落)に苦しむこととなりました。これにより、経済成長が鈍化し、長期間にわたり低成長が続きました 。
バブル経済は、急激な経済成長とそれに伴う地価・株価の高騰、過剰な消費と投資が特徴でした。しかし、その後のバブル崩壊によって、多くの企業や個人が大きな経済的打撃を受け、日本経済は長期的な停滞期に突入しました。この経験は、金融政策や経済政策の重要性を改めて認識させ、日本の経済史における重要な教訓となりました。
----
用語の意味としては、
バブル景気(バブルけいき、英: bubble boom)は、好景気の通称で景気動向指数(CI)上は、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間に、日本で起こった資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こった社会現象とされる。情勢自体はバブル経済と同一であり、バブル経済期(バブルけいざいき)または、バブル期(バブルき)や平成景気(へいせいけいき)、平成バブル(へいせいバブル)とも呼ばれる。日本国政府の公式見解では数値上、第11循環(内閣府の景気基準日付)という通称で指標を示している。
ただし、多くの人が好景気の雰囲気を感じ始めたのは1987年10月19日のブラックマンデーをすぎた1988年頃からであり、政府見解では、日経平均株価が38,957円の史上最高値を記録した1989年12月29日をはさみ、バブル崩壊後の、1992年2月までこの好景気の雰囲気は維持されていたと考えられている。
日本では、1986年12月-1991年2月までの株式や不動産を中心にした資産の過度な高騰、経済拡大期間を指すことが主である。目安となる指標も多く存在し、景気動向指数(CI・DI等)、土地価格(公示価格・調査価格の6大都市、地方、平均値等)、株価、GDP(総GDP伸び率等)、消費者物価、民間消費支出等どれを基準にするかということと、政府見解により諸説は左右される。
1980年代後半には、テレビ等のマスメディアの必要以上に毎日繰り返された不動産価値の宣伝により、地価は異常な伸びを見せる。当時の東京都の山手線内側の土地価格でアメリカ全土が買えるという算出結果となるほど日本の土地価格は高騰し、日経平均株価は1989年(平成元年)12月29日の大納会には、史上最高値38,957円44銭を付けるなどし、資産価格のバブル化が起こっていた。このことを指して「バブル経済」と呼ばれる。
バブル経済とは、総じて結果論として語られることが多く、その過剰な拡大期間の中では単に「好景気」といわれる。バブル景気による過剰な経済拡大期があり、その後にはその反動としてバブル崩壊による大幅な資産価格下落や金融収縮などが起こり経済問題が多数噴出することとなる。結果として過去のその経済状況を否定的意味あいでバブルなどと呼称する。
日本の景気動向指数でみる、景気循環における第11循環の拡大期に当たる。指標の取り方にもよるが、おおむね、1986年12月から1991年2月までの4年3か月(51か月)間を指すのが通説である(昭和天皇が吐血した1988年9月19日から翌年2月24日の大喪の礼頃まで自粛ムードあり)。これは、2002年2月から2008年2月まで73か月続いた長景気(通称:いざなみ景気、かげろう景気など)や1965年11月 - 1970年7月の4年9か月の57か月続いたいざなぎ景気に次いで第二次大戦後3番目に長い好況期間となる。
バブル以前の1985年、プラザ合意直後の日本は円高不況と称された深刻な不況であり、輸出産業が大打撃を受け、東京や大阪などの町工場には倒産が続出していた。当時の日本のGDPに占める製造業比率は高く(現在は18%程度)、円高が輸出産業、ひいては日本経済に与えたダメージは現在と比較にならないほど大きく、製造業の日本国外への流出もこの時期に本格化した。内需拡大の掛け声とともに、平成元年に所得税の国税地方税を合計した最高税率が88%から75%に引き下げられ、富裕層を中心に手取り収入が最大2倍近く増えたことがバブル景気を後押ししていた。円高不況という文字がメディアから消え、多くの一般の人がいわゆるバブル景気の雰囲気を感じていたのは1988年頃から1991年2月のバブル崩壊以降少し後までの数年である。
日本のバブル崩壊による深刻な経済問題が表面化するまでには数年の時間を要し、当初は一時的な景気後退として楽観論が大勢を占めていた。1992年には政治的に宮沢喜一などが公的資金投入による早期の不良債権処理を言及しているが、官庁、マスコミ、経済団体、金融機関などからの強い反対に遭い実行に至らなかった。バブル崩壊と同時に1973年より続いてきた安定成長期は終焉を迎え、失われた10年の引き金となった。
===== 要因 =====
政府・日本銀行の金融・財政政策による景気刺激策がバブルの主因とされている。
安定成長とバブル期を分けたのは1985年9月のプラザ合意である。その後のルーブル合意まで100円以上の急速な円高が進行する。ミルトン・フリードマンは「日本の『バブル経済』は、1987年のルーブル合意がもたらしたものである」と指摘している。
バブル以前の1985年のプラザ合意直後の日本は円高不況と称された深刻な不況であり、輸出産業が大打撃を受け、東京や大阪などの町工場には倒産が続出していた。当時の日本のGDPに占める製造業比率は高く、円高が輸出産業、ひいては日本経済に与えたダメージは現在と比較にならないほど大きく、製造業の日本国外への流出もこの時期に本格化した。円高不況という文字がメディアから消え、多くの一般の人がいわゆるバブル景気の雰囲気を感じていたのは1988年頃から1991年2月のバブル崩壊以降少し後までの数年である。
当時、ドル高による貿易赤字に悩むアメリカ合衆国はG5諸国と協調介入する旨の共同声明を発表した。これにより急激な円高が進行。1ドル240円前後だった為替相場が1年後に1ドル150円台まで急伸した。日本と西ドイツがアメリカのドル安政策の標的にされた。
このショックを和らげるため日本政府は、内需主導型の経済成長を促すため公共投資拡大などの積極財政をとり、また一方で日銀は段階的に公定歩合を引き下げ(最終的には2.5%)、長期的に金融緩和を続けた。この結果、長期景気拡大をもたらした一方で、株式・土地などへの投機を許しバブル発生を引き起こしたとされている。
中曽根内閣は貿易摩擦解消のため、国内需要の拡大を国際公約し(前川リポート)、これまでの緊縮財政から一転させた。5回の利下げの実施後の1988年度補正予算で当時の大蔵大臣であった宮沢喜一は公共事業拡大に踏み切った。また、急激な円高によるデフレ圧力にもかかわらず日銀は当初、公定歩合を引き下げずに据え置くとともに、むしろ無担保コールレートを6%弱から一挙に8%台へと上昇させるという「高目放置」路線を採った。そのため、一時的に非常な引き締め環境となり、その後数年のインフレ率の低下を招いた。一方、翌年以降は緩和へと転じ公定歩合を2.5%まで引き下げ、その後も低金利を続けたが、この金融緩和政策は当時国際公約と捉えられており、これが継続されるとの期待が強固であった。1989年に所得税の国税地方税を合計した最高税率が88%から75%に引き下げられ、富裕層を中心に手取り所得の急増による資金供給があるとともに、インフレ率の低下と低金利政策維持への期待によって名目金利は大きく低下し、このことが貨幣錯覚を伴って土地や株式への投資を活発化させた。日銀の金融政策は、卸売物価・消費者物価を基準に考えるという伝統的な考え方が支配的であったため、日銀は地価は土地対策で対処すべきという立場であった。
今の時代では、バブル期を直接知る人もどんどん減ってしまい、現代人は、ただバブルの頃は儲かった、とだけ伝え聞いて、
いい時代のように思われてしまいがちですが・・・、
確かにお金はよく動いていましたが、
**24時間働くゾンビのような労働者奴隷
鼻紙のようにお金をばらまく品性下劣な成金
人権無視の開発や地上げ、犯罪の数々**
バブルなんて、決してすばらしい世界なんかではなく、
人も社会もイカれていた、ただ異常な時期だっただけ、
と言ってよいでしょう。
わずかばかりの景気のよさの中でアホな成金が豪遊しただけ、というほぼ無いに等しいメリットの代わりに、
30年も不景気で地獄を味わい、今も停滞した経済状況、という壮絶なデメリットを残された、地獄の時代であったと言えるかと。